もう8年も前の話にはなるが、サーキットでの走行中に大きなクラッシュに遭った。レーシングカートの練習走行中の出来事だった。筆者はその週に開催されるレースにはエントリーしていなかったが、周囲のドライバーたちとのレベル差を知ることのできるいい機会だということで練習走行を決行した。大怪我をしたのが、ちょうど6月30日の日曜日だったが、7年が経過して、忘れてはいけない事故ということで少し振り返ってみることにした。
大クラッシュの経緯説明
当日の路面コンディションについて
当日の天気は晴れ。ヘルメット、レーシングスーツを身に付けて走行していれば汗をかくような気温だった。かといって真夏のような気温ではないので、脱水症状になるようなことはなく、健康上の問題は全くなかったと思っている。
レース1週間前ということで、エンジン(カテゴリー)ごとにクラス分けがなされ、それぞれ15~20分を1セッションとして練習走行が行われていた。
筆者はAvantiクラスというものに該当するが、KTクラス、MAXクラスと混走だった。参加台数は多かったが、多すぎて走れない、走りにくいなどは感じていなかった。

久しぶりの走行だった筆者
また、筆者は約2ヶ月ぶりの走行だったが、特段ブランクがあるとは感じていなかった。しかし、決して舐めて走っていたわけでもない、いつも以上の心構えで臨んでいたつもりだ。
朝一番の走行ではなかったので不慣れをクラッシュ発生の理由にはしたくない。
2013年は、カート人生で初めて新車を投入したシーズンだった。
しかし、自分の技量不足もあり、新車を乗りこなすことが出来ず、焦りがあったのも事実。当日も、平凡というよりは、自分としては納得していない、いまひとつのラップタイムの連続だった。
セッション中もいろいろ考えながら走ってはいたが、結果に結びつけることはできていない。
そんな時に、ちょうど前に現れたのが、(エンジンが)格上クラスのチームメイトだった。彼は過去にシリーズチャンピオンに輝いたこともある実績も格上の速いドライバー。
彼自身もこの日は流れに乗れていなかったのだ。ついていくことができれば、自分の走りも変わるかもしれない。そんな一筋の光明にすがりつきたかった。なんとか結果を出したかった。そんな思いだけだった。
鈴鹿サーキット南コースのコース図
モビリティランドのホームページからコース図を引用した。

クラッシュした場所は最終コーナーを立ち上がって、アクセル全開の区間。
公式ホームページの図で見ると、『F地点』を通り過ぎて、トイレがある辺りを通過したあたりだった。チームメイトの彼が前、筆者が後ろ、インコース側を2台の連結列車状態で走行していた。
すぐ後方を走ることで、スリップも活用できた。ラップタイムの改善も図れた。まだまだタイムを伸ばせるのではないかと期待した。まだまだ頑張らなければ、との思いだけで気持ちに余裕がないまま数ラップを重ね…アクシデントが起きた。
前を走る彼がいきなりふらつき、右側(アスファルトのある方)ではなくコースアウトするように左側(ダート面の方)に避けたのだ。
彼の背中しか見れていなかった筆者には、一瞬のことで状況が理解できなかった。
目の前に突如現れたのは、横向きに急停車したカート。
コースアウトしていたカートがコース上に戻ってきてしまい、そこで停車してしまったのだ。ステアリング操作だけではもはや避けれなかった。そのまま追突してしまった。
今まで走行中のクラッシュは何度か経験があるが、今回のようにエネルギーが『0』の停車したものに当たったことは、クラッシュパッド以外は経験がなかった。
クラッシュして相手に乗りあげてしまったのも初めて。
最初は頭と胸を強打したと思った。
今まで経験したことのない激痛に襲われ、なんとか他のドライバーの迷惑にならないように、コース脇に寄せなければいけないという思いだけでカートを停車させた。
クラッシュした瞬間に足の骨が折れたのは実感できたが、それ以上に背中が痛く、もはやシートから自力で降りることさえできなかった。
骨折の診断結果詳細と手術内容について
サーキットの医務室に運ばれたが、詳しい診察や治療ができないということで鈴鹿回生病院(三重県鈴鹿市)に転送された。
サーキットから運ばれてくる患者も多いと聞いたことがある。
整形外科領域には特に力を入れており、著名な看板医師が多い。

日曜日は当直の医師しかおらず詳しい診断ができないことは伺っていた。
右足の中足骨が折れているのは専門外の医師が診ても確定。脊椎に関しても恐らく折れているが、今後の治療方針については主治医の判断を待ってほしいとのことだった。
脊椎は簡単に言ってしまえば首の骨、腰の骨。
脊髄が通っているため、損傷の程度では体に麻痺が出てしまう可能性のある大事な場所だ。レースの世界でもたくさんのドライバーがアクシデントで大変な思いをされている。
正式な診断は、第一腰椎破裂骨折(L1)と右中足骨の骨折(Ⅲ・Ⅳ)。
総合的に判断して腰は手術をした方がいいとのこと。医学的な用語で言えば保存療法ではなく、手術を選択するということだ。
手術内容については除圧と後方固定。足に関しては、折れた際に大きく骨がずれており、ピンを通して補正する手術(ピンニング)をする必要があるとのこと。
手術は、うつぶせの状態で腰椎から。
まずは体内で砕けてしまった腰の骨を除去するところから始まる。これが除圧というようだ。筆者の場合は砕けた骨の一部が神経に触れ、触れた箇所で炎症が起き、腫れていたと後で聞いた。
そして、1ブロックのうち2/3近くがなくなってしまったので、そこに人工の骨セメントを埋め込む。そして、体を曲げることで不意な圧力が掛かり、セメントが変形しないように固まるまでの間、上下の骨をボルトで固定して終了。
腰の手術が終わり次第、仰向けにして、次は中足骨のピンニングを行った。体外から針金を(骨の中に)通して完了、今回は3本の針金を使用した。全身麻酔で、5~6時間くらいの時間を要した。
術後、3~4カ月は腰から鎖骨まである大きな硬性コルセットを着用した。人工セメントが完全に固まるまでは、曲げることが一切厳禁だからだ。
また、腰にかかる負担や痛みも小さくすることができるので、ずいぶん助かった。

腰椎については、今回は金具で固定する手術。
1年後をめどに、次回は金具を抜く抜釘術を受けなければならなかった。高齢の患者であれば、いろいろなリスクもあり、抜釘術を受けず、人生を終えることが多い。
筆者は、当時30代前半。体内で金具が折れたり、金具の上に骨が形成されたりするリスクを考えると、抜釘術を強く薦められた。
なお、数カ月で足のピンは抜いたが、抜く際は麻酔を打たなかった。
骨の中を通っているピンなので麻酔は効かないとのことだ。2本目、3本目と抜いていくごとに痛みが大きくなっていったことと、ひどく出血したのは今でも覚えている。

1年後の抜釘術も無事に終わり形的には骨折完治
固定してあるボルトは術後に記念としてもらった。
今でも自分に対する戒め的な意味合いで保管している。これを見ると、本当に体に後遺症が残らなくて良かったと改めて思えてくる。
また、こんなに長いピンが自分の体内に入っていたかと思うと恐ろしいものである。

鈴鹿サーキットのオフィシャルのたくさん助けて頂いたり、迅速な対応を頂いたことには本当に感謝している。
また、事故後に訪れた際も心配頂いたり、本当に頭が上がらない思いだということを最後に付け足させて頂きたい。
また、今では個人で開院されているが、当時の主治医である福島達樹先生にも大変感謝している。こういったケガをするまでは、まったく知らない間柄のドクターだが、周りからの評判も高く、最後まで面倒を見てもらえたことは本当に良かった。
たまたま偶然だとは思うが、本当に縁には感謝している。
脊椎の関係でお悩みの方にはぜひ、おすすめしたいドクターだ。
