会社に長いこと在籍していると、採用や教育などといったことにも関わる機会が出てくる。現在は採用コンサルタント的な仕事をしているが、採用の面でも、人材育成の面でも正解という選択肢はなく、より正解だと思われる選択肢を見つけていくのが非常に難しい。採用や教育は、そのときのトレンドみたいなものがあり、十数年前は「就職氷河期」、ここ近年は「ゆとり世代」「さとり世代」や「売り手市場」などが挙げられる。現在、主流は大学名に拘らない採用だが、新卒採用の在り方を再度見直す時期に来たのかもしれないと感じるようになった。
最近の求人状況を簡単に説明
ここ数年は学生に分があり、求人倍率も高い状態で推移している。数字上は比較的仕事選びに困らない状況が続いていると言える。ということは会社側にとっては、思い通りの学生が採用できず、採用も人材育成も大きな課題を抱えて事業運営しているということになる。
とはいっても大手上場企業と中小企業の採用難易度は違うだろう。筆者は後者に属しているが、中小にとっては採用数に満たなくても仕方ないと捉えるか、ある程度採用基準を落として採用数を維持していくしかないのだ。
どちらかと言えば採用基準を落として、その後に育成が上手く行くかもしれないという淡い期待を抱いて採用活動を進めている会社や人事担当者の方が多くあるのではないだろうか。
学生と接していて感じること
昨今、大学生でも基礎学力の低下が叫ばれている。大学全入時代と称されるようになったことや、教育カリキュラム等の変更が原因なのかもしれない。筆者は教育専門家ではないので、詳細はそういった人の記事に委ねたい。
もちろん一部の大学は依然として偏差値が高いままであるだろうし、ユニークな人材を多く輩出しているのも周知の事実だろう。あくまでも全体の傾向的な話である。
あくまでも偏差値が高いから良い、低いから悪い、という次元の話がしたいのではない。ただ、基礎的な問題解決力や次のステージとしての問題発見力、応用力などは学力と比例しているのではないかと最近強く感じるようになったのは事実だ。
筆者はもともと学歴や学校名は気にしない立場だったがここ数年、学力というものの素養が大事だと思うことが多々出てきた。
なぜ、筆記試験を実施しているのか
仮に大学名に捕らわれない採用を実施するとしても、筆記試験を実施せずに面接だけで採否を決めることは、リスクが高いものだ。
ベテランの面接官であれば、面接の問答だけである程度見抜くことができるのかもしれないが、ごくごく一般的な力量の面接官にはまだまだ難しいのかもしれない。
判断材料が少ない中で新卒採用をしていくことには会社側も不安があるからこそ、筆記試験や適性検査を実施するのである。
時代の変化が原因かもしれない
良い悪いという論点での話ではないが、子育ての方法が変わってきて、ストレス耐性があまり高くない人が多くなってきたと評されることも多い。一方、のびのびした独自の発想を持つ子も多いのも事実だ。
基礎学力以外の面でもいろいろ変化があるなと実感している。筆者の周りには後者のタイプが多くて、逆に刺激を受ける。
筆者が学生の頃は詰め込み教育だったこともあり、型にはまったスタイルの人間も多かったように思う。今では普通にできることが当時では主流から外れているなどと評されたことも多々あったと思う。
未だに一部の企業が大学名や偏差値で採用をすすめる理由
一般論として、偏差値が高いということは基礎学力も踏まえて、ビジネス素養がある可能性が高い傾向にあるということである。語学にしても、数的処理にしても、これが実態ではないだろうか。もちろん、花を咲かすことができるかは周りの環境の問題が一番大切だろう。
大学で勉強した専門領域を、入社時からそのまま会社で使うことは稀かもしれない。また、学力とコミュニケーションスキルは別物で、職種が変われば通用しなくなることもよくある話だ。
学力素養の面で、わざわざ教えることが少ない利点を考えたり、可能性論の話を突き詰めれば、大学名や偏差値で採用をすすめていく理由もなんとなく想像がつく。
上場企業役員の出身大学名一覧を見ていると、なるほどと思うことがあるものだ。国家公務員試験の合格者数も同じ事が言えるのかもしれない。
元・新卒採用の担当者からの意見
大手企業しか興味のない学生であれば、それを見据えて偏差値の高い大学に通うのがまずは一番の最短ルートだと思う。下手すると何万という学生が母集団を形成する企業では、書類選考で弾かれることも多々あると思われる。
酷な言い方かもしれないが、同じ土俵に上がるには、実際のところ大学名も大事なのである。
では有名大学ではないから世間で通用しないかと言われれば、もちろんそうではない。学力だけが全てではない。「社会」というものにひとたび出れば、学力よりもコミュニケーションスキルの方が重視される会社や職種も大いにある。
自身の能力、環境への適応力、職場環境(会社・人)の3つが揃ってはじめて人が育つことを忘れずにいたいものである。