2019年いっぱいで営業を終了してしまったカートランド三重というローカルなコースがあります。そこを走行するドライバーは、ほぼ全員の方が「見当山」、「ケントウヤマ」だとかもっと略して「ケントヤマ」などと呼んでいたことが非常に懐かしく感じます。筆者がカートを始めたころは、まだまだレーシングカート人口も多く、たくさんの人との出会いがあり、ライバルも多くいろんな意味で大変でしたが、逆にたくさん刺激を受けて非常に充実していたとも言えます。
見当山ってどこにあるのか
Google mapで検索してみるとどうやら、日本国内に同じ名称が2つあるようです。岐阜県のひるがの高原と三重県津市の2ヶ所とのことです。
岐阜県の見当山は行ったことがない場所なので分かりませんが、三重県の見当山は市街地から少し離れた、のどかなところに所在します。
見当山ってどんなコースだったのか
もう走れなくなってしまいましたが、全長は630mとそんなに大きくはないミニコースになります。ストレートがあまり長くないので、コーナーを次々に処理していかなければならず、ステアリング操作は忙しく、あまり気の抜けないコースだと思います。
EIKO ホームページより引用しました。
高速コースにしても、テクニカルなコースにしても、それぞれ難しい点はあるのですが、カートランド三重も例外ではなく、いろいろな面で勉強になるコースでした。また、どこのコースにもいらっしゃいますが、ここにも長い間走っている超ベテランドライバーがいました。若手の壁というか目標みたいな存在になっていて、追いかけるのがとても楽しかったです。
カートランド三重で基礎を勉強した
YAMAHAの古いフレームからスタートした
初めて乗ったのはYAMAHAの古いフレームでした。もう長いこと乗っていないので数字は恥ずかしながら忘れてしまいましたが、リアシャフトの細い旧式のカートでした。確か40π(パイ)だったような気がします。
手持ちのお金もあまりなく、とにかく楽しく乗れればいいという感じでレーシングカートの門を叩いたので、人よりもマテリアルが古いとか、そういったことはあまり気にしていませんでした。
2008年4月の筆者の写真です。もちろんコースはカートランド三重、ハラダカートクラブに所属していました。フレームはYAMAHAになります。
フォーミュラカー(FJ1600)やマイカーでサーキットを走ったことは若干ありまいたが、カート独特のスピード感だったり、コントロールの難しさにはとても苦労したことを今でも最近のように覚えています。
今こうして写真を見ると、コーナーに対してマシンの向きが少しおかしいなと思います。足で燃料タンクをしっかり挟んでいないし、このコーナーの侵入の仕方では、きっと遅かったんだろうなと我ながら思うものです。
2号機はYAMAHAからBirelへ
2008年11月ごろの筆者の写真です。
色々な人からアドバイスをもらって、中古とはいっても初代のYAMAHAカートよりは全然新しいフレームを購入しました。元々は全日本選手権で使われていたフレームということで戦闘力も大幅にアップしたのではないかと思います。
とは言っても、まだまだ乗り方というかドライピングポジションは正直綺麗ではありません。前傾姿勢になっているし、足も窮屈でフレームに対して体が合っていないような印象を受けます。
少し他のサーキットを走るようになった
仕事のため単身赴任で住んでいた三重県から実家のある愛知県に戻ってきたこともあり、自宅からより近いコースでレースに出始めます。三重県桑名市にあるレインボースポーツ、三重県鈴鹿市にある鈴鹿サーキット国際南コースに年間参戦するようになっていきました。
3号機はFA-KART
再び、カートランド三重のシリーズ戦に出るようになりました。フレームはFA-KARTです。F1ドライバーのフェルナンドアロンソがプロデュースするフレームになります。
このころ使っていたエンジンはPRD Avantiというものです。今までのYAMAHAの100ccよりも少しパワーのある125ccのエンジンです。毎月ではありませんでしたが、開催があるときは楽しんで乗っていました。
レーシングカート人口は減っている
エントリーが全国のドライバーからあるような鈴鹿サーキットなどではあまり減少を感じませんが、ローカルコースについては年々、競技人口が減っているように感じました。これはカートに乗っていなくて、観客としてサーキットに足を運んでも感じることです。
カートランド三重の閉鎖の要因の1つですが、やっぱり非常に寂しく感じるものです。ローカルな場所で新しくコースが作られるなんてことはよほどのことがない限り、難しいでしょう。自分に潤沢な資産があれば、是非コース運営はぜひやってみたい事業の一環であったりします。
ホームコースがなくなるのは寂しい
こんなに長く続けられると思っていなかったレーシングカートの世界。筆者はドライバーとしては遅い方で、速く走れなかった身ですが、それでもたくさんのことをカートランド三重で勉強させてもらったと思っています。
可能性としては薄いと思いますが、もし誰かが事業継承して、ふたたびコース運営を始めることがあるとすれば、また走ってみたいものです。
記事を書いた人
ちゃおんぱむ